2014年から2016年にかけて、英国の8病院で23人の患者が全身麻酔をかけられ、頭蓋骨に穴を開けられ、脳の奥の被殻(putamen)に神経幹細胞(neural stem cell, NSC)を2000万個、注入されました。使われたのは、ヒト胎児の皮質神経上皮細胞からクローナルに樹立して凍結保存した細胞株——全員に同じ製剤です。対象は脳梗塞の後遺症で、麻痺した腕で2.5cm角のブロックをつかめない人たち。9人は腕がまったく動かず、14人にはわずかな動きが残っていました。
報告書は2020年の Journal of Neurology, Neurosurgery and Psychiatry にあり、考察にこう書かれています——「主要有効性エンドポイントは達成されなかった」。ところが流通する要約の多くは「幹細胞移植で上肢機能が改善した」という因果の文です。原著が書いたのは「改善が3・6・12か月に観察された」という単群での観察でした。
掲載誌情報
- 論文タイトル: Intracerebral implantation of human neural stem cells and motor recovery after stroke: multicentre prospective single-arm study (PISCES-2)
- 論文の種類: 原著論文。前向き・多施設・単群・非盲検の探索的臨床試験。対照群がありません
- 著者・所属: Keith W Muir(責任著者、Institute of Neuroscience & Psychology, University of Glasgow)を含む全14名。英国8施設の共同で、共著者にReNeuron Ltd. の4名
- 掲載誌: Journal of Neurology, Neurosurgery and Psychiatry(JNNP、発行BMJ)2020年, 第91巻4号, 396–401ページ。DOI 10.1136/jnnp-2019-322515、PMID 32041820
- 査読・掲載日: 2019年11月25日受領、2020年1月8日受理、2月10日先行公開
- Impact Factor: JCR 2025年で7.7(発行元BMJの公表値)。被引用数161件(OpenAlex、2026年8月4日確認)
- オープンアクセス・登録: ハイブリッドOA、CC BY-NC 4.0。個票データと改訂履歴も公開。EudraCT 2012-003482-18
- 資金源・利益相反: 資金は ReNeuron Ltd. とInnovate UK。開示は明快です——「JH, PS, KP and JS are employees of ReNeuron.」。KWMはReNeuronのアドバイザリーボード参加歴があり、PISCES-3の運営委員。プロトコルはこの社員4名が臨床研究者の意見を入れて設計しました
責任著者・Keith W Muir教授について: 英国グラスゴー大学の SINAPSE Chair of Clinical Imaging で、クイーン・エリザベス大学病院の神経内科医。専門は急性期脳卒中治療と、治療判断のための脳画像。ATTEST、PISCES、PISTE、WAKE-UPなど多数の脳卒中臨床試験に中心研究者として関わってきました。
そもそも、これまで何が分からなかったのか?
脳卒中は原著の冒頭にあるとおり「死因の第2位であり、成人の長期的な障害の最大の原因」。日本でも要介護の主な原因の第2位は脳血管疾患です(令和4年国民生活基礎調査)。後遺症には「時間の壁」があります。原著が引く先行研究群は冷徹です——発症10日目までに回復がなければ90日目にも重い障害を残し、6か月時点の手の巧緻性を決めるのは初期の重症度と1か月以内の回復だけである——。
👦 生徒:発症から半年で、脳の回復は本当に「終わって」しまうんですか?
🧬 エクソ太郎:正確には「終わる」のではなく、急な下り坂が平地になるイメージが近い。原著が引くのも「転帰は発症後の数週でほぼ決まる」という研究群で、回復がゼロになるとは書いていない。勢いが数か月で大きく鈍る、ということだ。PISCES-2は、平地に立たされた人にもう一度勾配をつけられるかを問うた試験なんだ。
では幹細胞は何をすると期待されたのか。原著によれば、細胞治療は「サイトカイン、成長因子の分泌を介した炎症の調節、神経可塑性、そして血管新生」を通じて回復を促しうる、と書かれています。CTX0E03も「局所の炎症反応を修飾し、動物モデルでは脳卒中後の宿主細胞の神経新生と、肢虚血後の宿主細胞の血管新生を促進する」とされます(血管新生の根拠が脳卒中モデルではない点に注意)。
👦 生徒:じゃあ、移植した幹細胞そのものが神経になる、という話ではないんですね。
🧬 エクソ太郎:原著が主に想定した働きは神経の置き換えではない——そこまでが正確な言い方だ。移植細胞は「代打の選手」ではなく「送り込まれたコーチ」に近い。ただしCTX0E03が分化能を失った細胞だという意味ではないよ。原著は、培養中に増殖のスイッチを切れば「細胞の分化する能力が回復する」と明記している。そして患者の脳に入った細胞が実際にどうなったかは、この試験では確認されていない。効果が出るとしたら宿主の脳にどれだけ「起こせる余地」が残っているかで決まる、という枠組みは変わらないけどね。
CTX0E03は、ヒト胎児皮質神経上皮細胞からクローナルに樹立された同種(allogeneic)細胞株です。レトロウイルスで導入された c-mycERTAM導入遺伝子により、4-hydroxytamoxifen(4-OHT)があるときだけ増殖する「条件付き不死化」の設計で、4-OHTを除けば増殖が止まり分化能が戻ります。駆動役ががん原遺伝子(proto-oncogene)c-myc である点には安全性の節で戻ります。
この論文で、何が分かったのか?
英国8施設で2014年7月〜2016年8月に登録・治療、追跡は2017年8月完了。対象は40歳以上、テント上虚血性脳卒中が2〜13か月前に起き、NIHSS(National Institutes of Health Stroke Scale)の上肢運動スコアが2, 3または4、かつ ARAT(Action Research Arm Test)の項目2が0または1 の患者。41例中18例が除外(最多は CTX0E03が発現するHLA(ヒト白血球抗原)に対する抗体が陽性で10例)、23例が注入に進み、20例が12か月追跡を完遂。白人96%、発症から登録まで中央値7か月。決定的なのが次の一文です——「Baseline ARAT item 2 scores were 0 in 22/23 and 1 in one participant.」(主要評価項目のベースラインは23例中22例が0点)。
外科医が梗塞と同側の被殻に 2000万個(400 μL)を4経路×5か所の計20か所に分けて注入し、23例すべてで手技は成功。全患者が最低週1.5時間・6週間の患側上肢リハも受けます(追加は施設判断)。
主要評価項目——達成されなかった
主要評価項目は「移植3か月後にARAT項目2が2点以上改善」。原文のまま引きます。
“At the 3-month evaluation, only one patient met criteria for ARAT test 2 response, and so the primary efficacy endpoint was not met.”
基準を満たしたのは 1/23(4%)。主要評価項目は未達です。6か月 3/22(14%)、12か月 3/20(15%)。ただし各時点の反応者数は 1 → 3 → 3 で、6か月以降は増えていません。14%から15%への見かけ上の上昇は、分母が22人から20人に減ったためです。
👦 生徒:主要評価項目って、そんなに特別なんですか? 他の項目でよくなっていたなら、それでいいのでは。
🧬 エクソ太郎:主要評価項目とは、データを見る前に「この一点で勝負します」と宣言した的のこと。矢を放ってから的を描き直せば誰でも百発百中だよね。外したこと自体は敗北じゃない。外したのに「当たった」と言い張ることが敗北なんだ。
副次評価項目
尺度を先に開きます——ARAT(上肢機能、総点0〜57)、mRS(modified Rankin Scale、障害を0〜6で表す。本試験の中央値3)、Barthel Index(日常生活動作の自立度、0〜100)、FMA(Fugl-Meyer Assessment、運動機能。上肢0〜66)。反応の定義は順に6点、1段階、9点、10点以上の改善。
| 時点 | ARAT総点 | mRS | Barthel | FMA |
|---|---|---|---|---|
| 3か月 | 3/23(13%) | 7/23(30%) | 8/23(35%) | 4/10(40%) |
| 6か月 | 4/22(18%) | 6/22(27%) | 7/22(32%) | 記載なし |
| 12か月 | 5/20(25%) | 7/20(35%) | 8/20(40%) | 3/10(30%) |
但し書きが要ります。NIHSSは表から消えました——10点以上改善がゼロだったためですが、ベースラインで10点を超えていたのは4例だけで、大半の患者には到達不能に近い基準でした。Barthelは天井効果で6例が評価不能。FMAの「10点以上改善」は「上肢または下肢のいずれかで10点以上」の定義で(表脚注)、上肢を狙った試験なのに下肢の改善でも数え、実施も10例のみ。表の「ARAT・mRS・Barthelのいずれか1つ以上」(57〜70%)はMethodsの副次評価項目リストになく、多重性で機械的に上がる数字です。
そして必ず伝えたいこと。表の数字はすべて「その時点で閾値を越えていた人数」であり、同じ人が改善を保ち続けた意味ではありません。mRSが4から3に改善した2例は「both of whom returned to grade 4 at subsequent visits」(後の受診で4に戻った)、ARATでも6か月は反応し12か月は反応しなかった1例が報告されています。この試験は「反応が持続したか」を判定する定義を置いていません。
この論文の「目玉」——ただしpost hoc
原著が最も強く打ち出したのは患者選択の所見です。NIHSS上肢スコアが 4(動きが全くない)の9例 と 2または3の14例 を比べると、「Responses on ARAT item 2 or total score were seen in none of those with baseline NIHSS arm score of 4」——動きが全くない群からARATの反応者は一人も出なかった。mRSの1段階以上改善も、12か月時点で arm 2–3群 6/12(50%) に対しarm 4群 1/8。
ただしこれはMethodsで「Post hoc subgroup analysis」と明記された解析で、2群はベースラインから大きく違います——arm 4群は有意に高齢(70±8歳vs 57±9歳、p=0.002)、NIHSS総点が高く(p=0.019)、Barthelが低い(p=0.003)。年齢・重症度・ADL(日常生活動作)が異なる2群から「残存運動の有無」だけを取り出せません。さらに、arm 4群は試験開始時の適格基準になく、途中の改訂で追加された群で、登録時期そのものが違う——三重の留保がつきます。
👦 生徒:3人でも良くなった人がいるなら、細胞は効いたということでは?
🧬 エクソ太郎:気持ちは分かる。でもこの試験には比較する相手がいない。しかも主要評価項目のベースラインは23例中22例が0点、床に張り付いている。0点より下は測れないから、ばらつきが下向きに出ても数字には現れず、上向きに出たときだけ「改善」として数えられる。「何もしなくても必ず上がる」という意味ではないよ。上がった分だけが見え、下がった分は見えない——だから対照群がなければ、本物の改善と、測定のばらつきや平均への回帰とを区別できないんだ。
安全性
重篤有害事象(SAE)は11例に17件。死亡2例(day 241の敗血症、最終来院7日後の自殺)は試験手技と無関係と判定。手術関連は4例6件ですべて回復——脳梗塞・硬膜下血腫・頭痛・嘔吐、そして術後22日目の部分発作と敗血症。この1例を原文は「possibly related to CTX0E03 cells」と書いています。
ここが最大の温度差。抄録は「no cell-related adverse events occurred up to 12 months of follow-up」と断定しますが、考察は「few potentially cell-related adverse events」と書きます。細胞が原因だと確定した有害事象は1件もありません。しかし「関連の可能性あり」と現場の研究者が記録した事象はあり、抄録の「ゼロ」はその記録を落としています。なお本論文には、同種細胞を脳内に移植しながら免疫抑制薬の記載が一切ありません。
もう一つ。CTX0E03はがん原遺伝子c-myc由来の導入遺伝子で増殖を制御する不死化細胞株であり、脳内の細胞が将来腫瘍を作らないかは理論上いちばん重いリスクです。ところが本論文にこの議論はなく、23例を12か月追跡した程度で腫瘍化は否定できません(PISCES-1では8年まで問題なしとされますが、この用量は11例中2例)。
未来はどう変わる?(臨床への道)
抄録はこう結論します——「脳内移植は多施設試験で実施可能(feasible)である」「上肢機能の改善は3・6・12か月に認められたが、上肢の運動が全くない患者では改善はみられず、今後の対照試験における標的集団の候補が示唆される」。本文も「ランダム化比較試験によるさらなる検証が正当化される」で締められます。その試験はどうなったのか。
PISCES-III(NCT03629275)がその試験でした。多施設・無作為化・sham手術対照で、主要評価項目は「6か月時点のmRS 1点以上改善割合」。ただし公開資料の計画値が一致しません——2023年の設計論文は発症後6〜12か月・110例(Laskowitz DT, et al. Front Stroke 2023;2:1182537)、一方ClinicalTrials.gov掲載の Version 3.0最終プロトコル(2019年9月26日)は「約130例」「2:1の無作為化」「発症後6〜24か月」で、組み入れ窓を広げた改訂履歴が残ります。結末は TERMINATED(中止)、実際の登録数15例。登録上の中止理由は「地域パートナーシップを通じて脳卒中障害プログラムを進めるための戦略的決定」——効かなかったから止めた、とは書かれていません。追跡は2021年3月2日に完了扱いですが、hasResultsはfalse(2026年8月4日確認。結果の提出記録はなく、登録の最終更新は2021年8月12日)。結果表も査読付きの有効性論文も見当たりません。PISCES-2が「essential」と書いた試験は、答えが出ないまま終わりました。
開発元ReNeuron自身も脳卒中から距離を取りました。2024年3月20日にadministration(英国の管財手続き)入り、9月2日にAIM上場廃止、2025年3月17日に非上場企業として再出発(ReNeuronリリース、2026年8月4日確認)。同社の公式沿革は、2019年に脳卒中プログラムを上海復星医薬(Fosun Pharma)へ導出し、2022年に社内研究をエクソソームへ集中したと記します。ただし2019年4月のリリースが伝える契約は中国に限った独占ライセンスで、中国以外の権利の行方は公表資料から追えません。社内開発の重点が移ったことは確認できますが、脳卒中開発が正式に終了したかは確認できません。PISCES-III参加者の長期安全性追跡試験(NCT05598775、予定9例)は「招待による登録中」、完了予定2026年12月31日——ただし登録の最終更新は2023年3月で、実際の進行は確認できません。「試験が失敗した」のと「会社が続かなかった」のは別のこと。失敗という結果なら次の研究者の財産になりますが、公表されない結果は誰の財産にもなりません。
他社も同じ結末です。定位脳手術で移植する SB623(SanBio) の慢性期脳梗塞に対するsham対照第2b相 ACTIsSIMA(n=163) は 2019年に主要評価項目未達。静注の MASTERS(n=129) も主要評価項目(day 90)未達(オッズ比 1.08、95% CI 0.55–2.09、p=0.83。Hess DC, et al. Lancet Neurol 2017;16:360–8)で、事前規定された副次評価項目も群間差なし。日本の TREASURE(n=206) も同様です。Athersysは2024年1月にChapter 11 を申請、4月にHealiosが資産取得。そのHealiosも 2025年12月9日、脳梗塞急性期について「ローリングサブミッションは行わず、開発方針を改めて検討する」と開示(優先はARDS)。断念ではなく、申請の道筋が宙に浮いた状態です。
例外はSB623の外傷性脳損傷(traumatic brain injury, TBI)です。sham対照試験 STEMTRA(n=63) が主要評価項目を達成し(群間差 6.0、95% CI 0.3–11.8、p=0.040)、日本では 2024年7月31日に「アクーゴ®脳内移植用注」(バンデフィテムセル)がTBI慢性期の運動麻痺の改善で条件及び期限付き承認、2026年5月20日に薬価収載(1回分72,716,528円)。ただし根拠は中間解析で下限が0をかろうじて外す信頼区間、副次評価項目は有意差なし。有効性が「推定」の段階で期限を区切る制度であり、承認されたのは脳卒中ではありません。
👦 生徒:じゃあ、いま日本で脳卒中の後遺症に幹細胞治療は受けられないんですか?
🧬 エクソ太郎:確認できた範囲では、2026年8月時点で、脳卒中に承認された細胞治療は日本に存在しない。保険で使える脳内移植型の細胞医薬はアクーゴだけで、対象は外傷性脳損傷だ。もう一つ区別を。薬機法の「再生医療等製品」と、医療機関が自ら細胞を加工する「再生医療等」は別の枠組み。後者は届出と委員会審査を求める制度であって、有効性を審査して承認する制度ではない。対照群のない自由診療の症例報告から何が言えるかは、逆算して考えてほしい。
この研究をどう批判的に読むか(限界と、さらに質を高める道)
まず誠実な点を。主要評価項目の未達を考察で明記し、中心的な所見がpost hocであることをMethodsで自ら明記しています。閾値にも自分に甘い操作は見当たりません——Barthelの反応閾値9点は、脳卒中患者で報告された最小臨床的重要差(MCID)1.85点(Hsieh YW, et al. Neurorehabil Neural Repair 2007;21:233–8)を大きく上回り、NIHSSの10点はほぼ到達不能な設定でした。利益相反の管理も、独立DSMB(データ安全性モニタリング委員会)・独立CRO(開発業務受託機関)・独立統計家、そして「The funder was not aware of outcomes until database lock.」と担保を揃えています。
ただし、Contributorsは「KWM undertook analyses」とも記し、目玉のpost hoc解析を誰が行ったのかは判別できません。責任著者は後継試験の運営委員でもあり、結びの「さらなる検証が正当化される」は継続に構造的なインセンティブを持つ人の一文として読む必要があります。
限界の書きぶりは正当に評価します。著者は「非盲検デザインは機能評価にバイアスを与えうる」「ランダム化比較試験によるさらなる評価は必須(essential)」と明記し、年齢・併存疾患・梗塞の体積と部位・皮質脊髄路(corticospinal tract, CST)・発症からの時間・併用リハとその強度を交絡候補として列挙し、「他の要因が関与した可能性を完全には除外できない」と書いています。
そのうえで、単群では原理的に区別できないものが残ります。(a) 自然回復。組み入れ下限は発症2か月で、自然回復が進行しうる時期です。設計の根幹は「自然改善の確率は5%未満と予測された」という仮定ですが、この5%は本論文内で実測されず、引用文献も付いていません。6か月時点の反応者が有意に若かったこと(53±6歳vs 64±11歳、p=0.025)も、若年が自然回復良好の既知の予測因子である以上、対立仮説と整合します(ただしこの差は12か月で消え、4例対18例・多重性未調整)。(b) リハビリ効果。義務づけられたリハは細胞移植と不可分のパッケージ介入。追加リハは各施設が患者ごとに判断し、上限も総実施時間も報告されていません。著者は文献を挙げて反論しますが、間接的な議論で実測ではありません。(c) 平均への回帰(22/23例が床の0点)。(d) 手術効果・期待効果。患者は実験的細胞を受けたと知っており、ARATもmRSも努力度と主観が入る尺度。独立した盲検評価者の記載もありません。
統計設計にも問題が。主要評価時点が試験途中で変更され(day 180 → day 90、amendment 8)、そのday 90で未達となると、6・12か月の結果と「3か月選択の恣意性」を理由に継続を正当化しています。信頼水準の記述も食い違い、Methodsは「the lower one-sided 50% CI」、考察は「90% CI」。片側50%信頼区間の下限は点推定値とほぼ同じで、誤り確率をほとんど制御しません。原文の人数から私が算出したClopper-Pearson 95%信頼区間は3か月1/23で 0.1〜21.9% です。
生物学的な検証も欠落。生着の証拠も移植部位の画像所見もバイオマーカーもなく、効いても効かなくても理由が分からない設計です。一般化可能性にも限界があります。除外理由の最多は CTX0E03のHLAに対する抗体陽性で10/41(約24%)、参加者の96%が白人でした。この約24%が他の集団にも当てはまるかは、本試験からは判断できません。
では、どうすれば質は上がったか。最も現実的なのは、全員に最終的に移植を提供しつつタイミングを無作為化する遅延開始デザインです。sham手術より倫理的ハードルが低く、23例でも同一時点の比較が成立します。主要評価項目は段階的な変化を拾えるARAT総点やFMA上肢にすべきでした(総点なら1〜54点の幅で変化を検出できています)。ほかに評価時点を途中で変えない、ビデオ録画による盲検独立採点、総リハ時間の記録。最も惜しいのが DTI(拡散テンソル画像)と TMS(経頭蓋磁気刺激)によるCSTの評価——上肢運動回復の主要な予測因子の一つを、著者自身が交絡候補に挙げながら測っていません。あれば「arm 4は反応しない」を、CSTが断たれているからという生物学的仮説に変換できました。
👦 生徒:ここまで問題があるなら、この試験はやる意味がなかったということですか?
🧬 エクソ太郎:いや、そこは違う。この試験は、「効くかどうか」を決める試験として設計されていない。原著は実施可能性に加えて「残存上肢運動のある患者で、機能的に意味のある上肢運動の改善が観察された」とまで結論している。ただしそれを細胞の効果だと確定はせず、ランダム化比較試験を「必須」と書いた。凍結製剤を作り、23例全員に手技を成功させた事実も本物の前進だよ。問題はその数字が設計の限界を外して独り歩きすること。「70%が改善」だけが切り取られるとき、失われるのは「単群」「3尺度のどれか1つでいい」「分母が20人」という三重の但し書きなんだ。
エクソ太郎の視点
私自身は間葉系幹細胞(mesenchymal stem cell, MSC)と細胞外小胞(extracellular vesicle, EV)による脊髄損傷(spinal cord injury, SCI)の研究を続けてきたので、PISCES-2を他人事として読めません。
CTX0E03に主に期待された働きは「移植細胞が神経になる」ではなく「宿主側の炎症を調節し、血管新生と神経新生を引き出す」——MSC由来EVと同じ枠組みです。つまりPISCES-2は、細胞種ではなく「宿主を動かす」という戦略そのものが、ヒトの亜急性期後期から慢性期の脳でどこまで通用するのかを問おうとした試験でした。ただし単群23例・非盲検・生着の証拠なしの試験は、その問いに答えられる設計ではありません。分かったのは「あらかじめ決めた一点では、動いたと言えるだけの数が出なかった」ことまで——戦略が否定されたのでも、支持されたのでもありません。
より痛いのはエンドポイントの話です。どの尺度で測るかが、その試験に何を証明できるかを決めてしまう——脊髄損傷の試験でも同じことが起こりえます。PISCES-2が残した「ARATの反応者は、残存上肢運動のある人からしか出なかった」という三重の留保つきのpost hoc仮説——細胞治療は全員に効く薬ではなく、宿主に「起こせる余地」が残る人にだけ働くのかもしれない——は、検証されないまま消えました。ただし線引きは尺度によって変わります——mRSでは完全麻痺群にも1/8例の改善がありました。それでも、私がEV研究で最も真剣に考えている論点です。
皮肉な符合を一つ。CTX0E03を作ったReNeuronは、脳内に細胞を注入する最も侵襲的なアプローチから社内の重心を外し、いまエクソソーム創薬基盤へ軸足を移しています。手放しで喜ぶ気には、私はなれません。PISCES-IIIが15例で止まり、結果が公表されなかったとは、登録された15人が引き受けた時間と負担が、次の研究者に届かなかったということだからです。
患者さんやご家族へ、はっきり書きます。PISCES-2は、幹細胞が脳卒中に効くことを示した論文ではなく、「効くかどうかを確かめるには何が足りないか」を記録した論文です。希望を煽ることも冷笑することも、私はしたくありません。事実はこうです——この道はまだ閉じてはいない。しかし、開いてもいない。開くかどうかを決めるのは、劇的に改善した1例の物語ではなく、対照群を置いた地味な試験を最後まで完遂できるかどうかです。
